私が一気読みしたのは、「真夜中の弥次さん喜多さん」①②(しりあがり寿 著 マガジンハウス 発行)です。
今、手元にある紙の単行本の帯には、
「弥次 喜多が彷徨う魂の五十三次」
弥次「キタさん、なんでえ、このヘンテコな漫画は?」
(中略)
弥次「現実やら幻やら、夢がゴッチャになってやがる」
喜多「……そりゃあ『この世』だって同じよーなもんだろ」
とあります。
そんな感じの漫画です。
十返舎一九著「東海道中膝栗毛」を題材に、大胆にアレンジした作品です。
シュールで深い、時代物コメディーと言えばいいでしょうか。
ありえないような設定の一つ一つが、刺さります。
色鮮やかな悪夢を見るような感じです。
あらすじ
愛し合うゲイのカップル、弥次さんと喜多さん。
でも、繊細で傷つきやすい喜多さんは薬物に溺れがち。
お伊勢参りに行けば、薬をやめられ、二人とも幸せになれるのではないか。
そんな弥次さんの提案で、二人はお伊勢さんを目指して旅に出るのでしたが…。
(以下、少しだけネタバレ)
二人は、時が混乱する霧が発生する宿場町や、プラモデルの宿場町など、幻想的な世界を旅します。
出会うのも、生首になった殿様や、喋る人面瘡…。
そして、お伊勢さんへの近道と言われた「三途の川」近くの町で起こった「事件」をきっかけに、二人の旅は「この世」と「あの世」の境目へ…。
終盤、二人はまだお伊勢さんに向かう旅の途上です。
喜多さんに「ここはどこいらだい?」と聞かれた弥次さんは、
「だってオレたちはあっちからきて こっちへ行くんだろ? わかんねえ」
と答えます。
二人の旅の目的地はお伊勢さんなので、「あっち」は江戸、「こっち」はお伊勢さんです。
でも初めて読んだ時、「あっち」を生まれた時、「こっち」を死ぬ時、というようにも取れる気がしました。
体が生まれてきて死んでいく時、「私」と思っている私がどこからやってきて、どこへ消えていくのか、私は知りません。
始まりと終わりについて知らないので、今ここにいる、と思っていることも、半分は幻のような、足下が危ういような感じがしています。
そんな中を旅している弥次さん喜多さんは、私みたいだなと思いました。
私は読むのが遅く、滅多に一気読みしない、というか、できないのですが。
この作品は、ヘタウマ調のしりあがりさんの絵の効果もあって、気がついたら一気読みしていました。
単行本が発行されたのは、約25年前です。
第1巻の刊行が1996年。
前年には阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と、大きな出来事が続きました。
未曾有の事態をきっかけに、これから社会は大きく変わるのではないか、と言われたりしていました。
また、これまで見ないようにしていたものが表に出てきて、見えるようになっただけ、という感じもありました。
コロナ禍が始まって一年半ほどが経過した今、この作品を読み返すと当時の光景が思い出され、くらっとします。
なんだか、同じことを繰り返しているような…。
衝撃や反省がいつの間にやらどこかへ消えていき、気がつけば以前とあまり変わらない毎日を送っている自分がいます。
「真夜中の弥次さん喜多さん」は全2巻で一旦完結していますが、「弥次喜多in DEEP」という続編があります。
こちらは全8巻あり、長いので一気読みできませんでした。
手塚治虫文化賞・漫画優秀賞受賞の「弥次喜多in DEEP」は電子書籍があるのですが、「真夜中の弥次さん喜多さん」は、合本も含めて紙の古本しかもうありません。
今、「真夜中の弥次さん喜多さん」と検索すると、映画や舞台のほうが先に出てきます。
とても残念です。電子書籍化してほしいです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
今週のお題「一気読みした漫画」